プロ戦績:45戦40勝(33KO)5敗
- IBA世界スーパーフェザー級王座
- WBO世界スーパーフェザー級王座
- IBF世界スーパーフェザー級王座
- WBO世界ライト級王座
- WBC世界ライト級王座
ディエゴコラレス~幼少期からスターになるまで~
”チコ”の愛称で呼ばれるディエゴコラレス。サウスカロライナ州コロンビアで生まれ、メキシコ人であった母親オルガと一緒に国中を移動しました。そのオルガは10代だったと言われています。ずいぶん若くしてコラレスを産んでいます。
コラレスとオルガ
画像出典元:『squarecircle65.blogspot.com』
父親はジェームズ・エイブリー・クアレルスという人物だったのですが、コラレスが2,3歳の頃にオルガと離婚しています。その理由はアル中でDVが激しかったため。
オルガは彼の恐ろしさをメディアに語った事があるのですが、それによると「彼が自分にナイフを投げた。そして●すと脅された。」「ネブラスカへの3泊4日の旅行で食べものやお金を与えることを拒否した。」「家族全員を脅す事が日常だった」...そう語っていますね。
ですので、オルガは離婚という選択をしています。
ディエゴコラレスという名前は本当の名前ではありません。そうオルガは証言しています。考えると、実の父親の名前はジェームズ・エイブリー・クアレルスですからね。コラレスは偽の名前を好み、その名で呼ばれるために周りの仲間に対して使い始めたとオルガは言います。やはり実の父親が憎かったからでしょうか?それとも別の意味があったのでしょうか。
クアレルスは英語で『Quawrells』と言いますが、『Corrales』と近い発音ですよね。と、考えるとただ単に間違えて聞き取っていたという事なのか、それとも…
まあとにかくオルガの離婚判決には、クアレルス氏(別名ディエゴ・コラレス・シニア)と離婚したと記載されているようです。
コラレスはサクラメントという治安が悪い地区で暴力に染まった日々を送っていたのですが、そのサクラメントをネットで調べると様々な情報が出てきます。トランプ大統領もこの地区の治安の悪さを気にしていたぐらいですから相当です。
ユーチューブでサクラメントを検索してみました。
この地区の路上バスに乗った事がある日本人も、「異様な感じがした。注意した方がいい」とコメントしていましたね。バスに乗っただけでその地区の空気感が伝わってくるぐらい凶悪な犯罪が起こる街で、色んなギャングの抗争があるとも言われています。
そのような地区で多くのトラブルに巻き込まれることを含む厳しい子供時代を送ったコラレス...
オルガはクアレルスと離婚してから『レイ』という人物と出会い、レイはコラレスの継父になりました。彼はサクラメント警察アスレチックリーグのボクシングディレクターだったようです。オルガとどのように出会ったのかは分かりません。
コラレスは4歳でボクシングに興味を持ち、レイの指導の下でスキルを身に付けたようです。実際ジムに通い出したのは10歳の頃だったと言われていて、それまではサッカーや陸上競技にも挑戦したようです。ですが、体格が小さかったので最終的にボクシングという競技を選んだとも言われています。
コラレスはジムに通い出してから約1年でアマチュアの大会に出場し、トップファイターとして成長していきました。アマでの戦績は『105勝12敗』。全米アマチュア選手権で2位という結果も残していますから、ボクシングという競技を選んだのは運が良かったのかもしれませんね。いや、サクラメントという地区がそうさせたのかもしれませんよね。
コラレスは18歳にしてプロ転向し、無敗のままメイウェザーと戦っています。トレーニング地をラスベガスに移してからは『ケン・アダムス(トレーナー)』とタッグを組んでいて、彼は米国五輪ボクシングコーチだったようです。数多くの世界チャンピオンを育てたと言われるほどですから、彼もコラレスの才能を認めていたのでしょう。
トップランクとも契約を結んでいますから、興行的にもファンを獲得できそうな選手だったという事が分かります。メイウェザーと戦うまでの戦績は33戦30KO無敗ですからね。契約するのも頷けます。
カスティージョとの試合は後世に語りつがれる事になるでしょうし、彼の名はボクシング界で永遠語られることでしょう。


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