塩屋俊の息子は准?嫁は?鈴木亮平との関係。

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今回は塩屋俊さんの紹介です。

塩屋俊プロフィール

本名:塩屋 智章

生年月日:1956年8月5日

出生地:大分県

活動期間:1980年-2013年

塩屋俊は1980年に俳優としてデビュー。

デビュー作はドラマ『離婚ともだち』(TBS系)。

多くの作品に出演しており、代表作は映画『釣りバカ日誌』シリーズや『おしん』(NHK)などに出演した。

あまり覚えている方が多いかは分からないですが、脇役などで出演して陰ながら作品を盛り上げていましたよね。因みに良く勘違いされる俳優さんが居ます。

その人の名前は「塩谷瞬」さんです。呼び方も同じなので、情報が入り混じって混乱してしまう方も多いと聞きました。

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息子は准?

塩屋准という息子さんがいらっしゃいます。俳優をしているようです。

やはり父親と同じ道を進んでいくのでしょうか?

また、息子さんは一時期カナダへ留学をしていたのですが、帰国をして日本で俳優として勉強をしているようです。

また、将来は父の気付きあげてきた「塩屋俊アクターズクリニック」(現:「アクターズクリニック」)を、自分の手で築き上げていきたいと心の内を明かしているようです。

父親の気持ちを受け継ぐ覚悟は出来ているようですね。優しい息子さんです。そんな彼ですが、どんな人なのか、調べてみました。

この方が、息子さんの塩谷准さんです。どことなく口元がお父さんに似ている感じがします。イケメンですね!ジャニーズに所属してそうな顔です。

芸名/塩屋 准 (Jun Shioya )
誕生日/1988年5月6日
出身地/神奈川県
サイズ/T180 B94 W78 H92 S27
言語/英語
趣味/水泳・ランニング・映画・アニメ鑑賞・殺陣・ディズニー関連
特技/英語(ニューヨークに約三年留学)・バスケットボール・歌唱・能
資格/スキューバーダイビング(OWD)
学歴/Stella Adler Studio of Acting (NY演劇学校)Evening Conservatory卒業・早稲田大学人間科学部(健康福祉科学科専攻)

身長が高いです。そして男前。俳優になる必要最低限のポテンシャルは持ち合わせて居るように思えます。そして塩屋准さんはアウトドア派なんですね!

主な出演作品に、BS朝日『7万人探偵ニトベ』、

映画『ふたたび』、舞台『BABEL LEBEL 旗揚げ公演「少年たちの密室」』『Stella Adler Production 「Escape from Happiness」 「The Curious Savage』など。

あまりメジャーではないですが、ガンガン活動しているようです。このまま突っ走って欲しいですよね。気づいたらドラマでメインを張っているかもしれません。

 

嫁は?

塩屋俊さんには、素敵な嫁さんが居るようです。が、存在するというだけで詳しい情報が入ってきませんでした。

奥さんの存在は、塩屋俊さんが亡くなってから「あさイチ」という番組で、塩屋俊さんの追悼番組の一角で奥さんから塩屋俊さんへの手紙として報道され公の場で明かされました。

このように、テレビ番組で旦那さんへの想いを述べるという事は、今までいい関係を築いてきたからなんでしょう。結婚までの馴れ初め、結婚生活でのトラブル、息子さんの誕生。

嫁さんは、塩屋俊さんとの思い出をひしひしと感じていたことでしょう…

 

鈴木亮平との関係。

亮平さんが所属する事務所(ホリプロ)のレッスンを担当していたのが塩屋俊さんのアクターズクリニックだった。

そうなんです。こんな繋がりがありました。

レッスンの最終日に校長先生だった塩屋俊さんが見に来てくれて、「君はイイから、ウチの学校へ来なさい」と言ってくれたそうです。

そこから、塩屋さんが企画していた映画の主役に抜擢するという話までもらうほど、目にかけてもらったのだとか。

鈴木亮平さんの才能を見抜いていた訳です。そこから塩屋俊さんは鈴木亮平さんを愛弟子として育てていたんですね。

塩屋俊さんは語る。

主人公の孫を演じる鈴木亮平は、僕が主宰するアクターズクリニックで教えてきた愛弟子。

彼を最初に見た瞬間、何年かにひとりの逸材だと思いました。

いまどきの俳優ってイケメンで細身でしょ。あいつは骨太の日本男児だから(笑)。

たしかにイケメンというよりは、芯が強そうなドンっとした印象が強い鈴木亮平さん。塩屋俊さんはガッツリ昭和の男が好きだったんでしょうね。

確かに今時の男と昭和の男を比べたら、なんてゆうか雰囲気とかも全然違うように思えますし、なにより男らしさが違いますよね。

こんな塩屋俊さんの話も。

映画「ふたたび」は、公開にいたるまでに紆余曲折あり、1度クランクイン直前にこの映画の企画がキャンセルされたそう。

その映画で主演を務めるはずだった亮平さんは、そのことを知り、大きな体が半分になるほど小さくなったように見え、亮平さんの悲しそうな顔を見るのがとてもツラくて、絶対に、リターンマッチをしようと心に誓い、映画「ふたたび」を公開させてやるんだ、と頑張ったんですって。

涙が出るエピソードですね…鈴木亮平さんの事を実の息子の様に可愛がっていた様子を感じることが出来ます。こんな師匠を持って鈴木亮平さんも幸せです。

この話をしている時には、涙を流していましたし、それだけ塩屋俊さんへの想いも強いという事なんですね。

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そんな塩屋さんが2013年の6月5日に病院で亡くなった3日後に、「花子とアン」のオーディションだったそう。

大切な人が亡くなって、それどころじゃなかったはずです。

とても、お芝居をする気持ちになれず、でも、オーディション会場に行き、そこで出されたお題が「自分が死んでいくことを愛する人に手紙で伝える」という内容で、

その瞬間、塩屋さんが亮平さんに語りかけているような、不思議な感覚を覚え、その役になりきることができたのだそう

まさに鈴木亮平さんの為のオーディションみたいですよね。こんな事ってあるんですね…

彼は師匠の死と自分を重ね合わせていたに違いありません。

「塩屋さんは僕にとって、長年の演技の先生であり、人生の師であり、そして、東京の父親です」

思いが伝わってきますね!塩屋俊さんが居なければ、鈴木亮平さんの今は無いと言っても過言ではありません。

 

死去した原因は?

なんだったのでしょうか。

俳優、映画監督で、俳優養成学校「アクターズ・クリニック」を主宰して多くの俳優を育てた塩屋俊(しおや・とし、本名智章=のりあき)さんが5日午後2時56分、急性大動脈解離のため仙台市青葉区の病院で死去した。56歳。大分県出身。

舞台の稽古中に倒れて、そのまま息を引き取っています。この「急性大動脈解離」とは、どんな病気なのでしょうか?調べてみました。

急性大動脈解離という疾患は、ほとんどの場合、高血圧症を基礎に持つ患者に突如発生する大動脈の恐ろしい病気です。

大動脈の内側に亀裂が入り、その裂け目から血液が大動脈の壁を裂いて壁内に流れ込む病気です

という事は、塩屋俊さんは食生活に問題があったのでしょうか…

原因は不明ですが、動脈硬化や高血圧が関係しているともいわれています。マルファン症候群などの大動脈の中膜が弱い先天性(生まれつき)の病気との関係も知られています。

生まれつきだと防ぎようがないですよね。本当に怖い…

私たちは「今、現在」を全うしないと駄目ですよね…

急性大動脈解離の場合、特別前兆と呼べるような症状はありません。患者さんによっては発症の数日前から数回胸痛が起こったという方もおられますが、この場合は最初に胸痛が自覚できたときから既に急性大動脈解離が発症していて、進行するにつれて痛みが分散していった可能性が考えられます。

翌日になっても胸痛が治まらない場合は、数日かけて大動脈解離が進行している可能性もあるので注意が必要です。

とのことですが、あまりに痛くて、意識を失ったり、ショック死したりするケースもあるみたいなので、少しでも違和感を覚えた人は、早め早めの対処をしてくださいね。

 

二股?

塩屋俊さんを検索すると、関連キーワードに「二股」と出てきます。先ほどの嫁さんとの話を聞く限りでは「おしどり夫婦」だったはずなんですが…しかし、やはりその情報は誤りだったみたいです。

なぜそういう噂が囁かれ出したのかというと、冒頭お伝えした通り俳優に「塩谷瞬」さんと言う方が居られるからなんです。この方が、過去に不倫で世間を賑わしていますから、名前が似ている塩屋俊さんが疑われたという事なんですね。

 

そんな塩谷瞬さんの記事はこちら↓↓↓

塩谷瞬の両親は?演技力は?加藤シゲアキと似てる?

もういっちょ↓↓↓

塩谷瞬が急死!?いつ?料理研究家になってた?二股で号泣?

 

英語?

塩屋俊さんは英語が話せる?との疑問も多いようですが、明確に話せるかどうかは分かりませんでした。

過去には、国内外問わず出演を重ねて居ますから、コミュニケーションを取ることは出来るのかもしれません。海外に仕事に行って、一切喋れないってことは無いはずなんで。

塩屋俊さんは2013年にニューヨークで公演しています。

蘖(ひこばえ)とは、樹木の切り株や、根本から生えてくる若芽のことで、これは再生と息吹の象徴であるということから「HIKOBAE」と名付けられたという。

塩谷さんが震災を忘れないために遺されたこのプロジェクトがずっと長く続きますように。)

震災の事を忘れないように、海外にもこんなことがあったんだという事を伝えるためにニューヨークで公演しました。

ガッツリ英語ですから、塩屋俊さんはある程度は理解できそうですね。

 

アクターズクリニック

俳優・映画監督の塩屋俊が、向井理や相武紗季などを輩出した俳優養成所「アクターズクリニック」の大分校を25日に開校した。

2012年の事です。

大分は塩屋の出身地でもあり、同校の開校は東京と大阪に続き3校目となる。

故郷への思いも強かったようです。「ジュニアクラス」と「成人クラス」があるみたい。

舞台の収益の一部を支援金として寄付するなど、社会活動にも力を注いでいる。

これから色んなスターの卵を育てていくって時に、塩屋俊さんはお亡くなりになりました。非常に残念、というか無念ですね…

しかし「アクターズクリニック」は、将来息子さんの准さんが引き継いでいく意思があるようなので心配はいらないでしょう!

塩屋俊さんの思いは、鈴木亮平さんや、その他の教え子が引き継いでいるはずです!

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