【ベトナム戦争の徴兵拒否】モハメドアリ、王座はく奪からの復活。

レジェンド

モハメドアリはベトナム戦争時に多くを賭けたアスリートです。。

1960年頃(正確には分かっていない)に戦争が勃発し、アメリカがベトナムに参戦する事が決まったのですが、その時アリは国の徴兵を拒否して世界王座をはく奪されています。それでもアリは自身の信念を貫き、多くの国民の支持を得ます。なんと約4年間も法定で戦い、そして彼は無罪を勝ち取ったのです。

...徴兵を拒否してから様々なドラマがあるので説明していきます。

 

モハメドアリ、産まれる。

モハメドアリは1942年1月14日、ケンタッキー州ルイビルで誕生しました。本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア。

 

モハメドアリがボクシングを始めたキッカケは自転車の盗難。

アリがボクシングを始めたのは12歳の時です。アリは父親からクリスマスにプレゼントされた自転車に乗って、バザーに行きお菓子を貰いに行きます。そしてその場から帰ろうとしたとき、乗っていた自転車が盗難に遭っている事が分かりました。

その出来事に憤慨したアリは、体育館にいた警官に「盗難したヤツをぶっ飛ばしたい!」と発言。その声を聞いた警官がアリに対し、ボクシングを習う事を勧めたのです。

その警官はボクシングジムのコーチをしていたので、アリはそのジムに翌日から通う事になりました。それが、ボクシングとの出会いです。なんとも以外なキッカケだったのですね。もしアリが自転車の盗難に遭っていなかったらボクシングを始めていなかったという事になります。

という事は、大規模な人種差別撤廃運動も起こっていなかったという事になります。アメリカの歴史を変えた男だと言っても過言ではないと思いますね。

 

モハメドアリ、ボクシングの才能を開花させ、アマチュアボクシングで活躍。ローマ五輪で金メダルを獲得。

画像出典元:『笹川スポーツ財団』

アリは【シカゴゴールデングローブのライトヘビー級】【ケンタッキー州ゴールデングローブ】など、数々のタイトルを獲得しています。

そして1960年に開催されたのローマ五輪では、前年度のヨーロッパ王者を下して金メダルを獲得。

アマチュアでの戦績は正式な記録が無いようですが、99勝8敗という成績が最も可能性のある数字のようです。驚異的な数字ですが、現代のボクサーでも成績がエゲツナイ人が沢山いますよね~。



モハメドアリ、金メダルを獲得後に飲食店に入るも、黒人の為に入店を拒否される。

アリはアメリカを代表して金メダルを獲得したにも関わらず、その後白人専用のレストランに入店しようとし、拒否されたという話があります当時は白人至上主義と言って、黒人差別が酷く、アリですら入店拒否される始末だったのです。考えられないですよね。

今現在のアメリカも人種差別が酷いですが、レベルが違ったという事でしょうね。アメリカ人はアフリカから黒人を連れてきたと言われていますし、黒人の方からしたら我慢ならないでしょう。日本人も差別されるぐらいですからね~。

その出来事で怒りに震えたアリは、なんと金メダルを川に捨ててしまったという話があります。しかし、それから36年後に開催されたアトランタ五輪の時に、アリは当時と同じメダルを贈られています。

 

モハメドアリ、見事世界チャンピオンになる。

アリはローマ五輪で金メダルを獲得したのちにプロへ転向。デビュー戦は見事KO勝ちで連戦連勝を重ねます。そして20戦目にフロリダ州のマイアミビーチの会場にて、WBC世界ヘビー級タイトルに挑戦します。相手はソニーリストンでした。

下馬評はアリが不利で、負けを予想する人が多かったようです。というのも、リストンは天才ボクサーであるフロイド・パターソンに対し2度もKO勝ちをしていましたからね。ですが試合が始まればアリの動きに翻弄され、最終的にリストンは6回終了時に棄権します。アリは圧倒的不利予想を覆したのです

アリは翌年リストンとダイレクリマッチを行ったのですが、見事1ラウンドKO勝ち。この試合のアリのパンチが早すぎて、KOパンチが見えない人が多かったために、八百長疑惑まで出ていたようですね

一瞬の出来事だった為に、見逃したファンも多かったようです。蜂のように刺したのですね。

 

モハメドアリ、自身の本名であった【カシアス・クレイ】を改名。その理由は奴隷の意味を持っていたから。

アリは世界チャンピオンになった後、イスラム教に改宗。『ネーション・オブ・イスラム(NOI)』という団体に加入します。それと同時に改名しました冒頭説明しましたが、モハメドアリの元々の本名は【カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア】。

アリ曰く、その名前【カシアス】は白人が付けた奴隷の名前だという事だそうです。

アリは過激派のマルコムXという人物と出会い、その思想に影響されるようになりました。マルコムの事について軽く調べたのですが、彼の実家は自給自足的な生活をしていたようですね。

というのも、当時は白人至上主義であったために黒人は白人よりも立場が低く、ろくな仕事が無かったからのようです。一家は黒人差別を嫌い、白人の意に反していました。

ですから、マルコムの家族は白人の過激団体から狙われていたとの情報もあります。最後には暗殺されてしまっていますから、やはり当時は今とは比べ物にならない社会であった事が分かりますね~。

アリはマルコムに影響されて活動していたのですが、マルコムは途中でNOIの尊敬する教徒といざこざがあり、それが原因でNOIを脱退しています。アリはそれと同時に、マルコムとの関係を絶ってしました。

 

 

ベトナム戦争が勃発。モハメドアリに徴兵がかかる。そして拒否。からのタイトルはく奪。

ベトナム戦争が勃発したのですが、その時アリは米軍に入隊する事を求めれました。そう、徴兵の催促がきたのです。1967年の事ですが、この徴兵をアリは拒否してタイトルを剥奪されていますね

アリは名前を改名しているにも関わらず、軍の中尉は『カシアス・クレイ』と呼び、アリは全く反応しなかったという話もあります。

 

「私は入隊を拒否する。自らの宗教に対し忠実ではない」と言い放ち、

 

結局有罪判決、懲役5年そして10000ドルの罰金を科され、ボクシングのライセンスを停止されてしまいます。ヒューストンの陪審員は全員白人だったとアリは言っていましたねまさに、不平等。全く関係の無い話ですが、東京裁判を思い出してしまいました…

その後、直ぐにアリの関係者は控訴しています。ここから、アリと白人社会の対決が始まったのです。

アリが断固として入隊を拒否した件で、アリと同じ黒人チャンピオンであった『ジョー・ルイス』は、アリを非難していました。

『ジョー・ルイス』は、過去に現役王者だった時に徴兵がかかり、軍に入隊していましたそうですからね~。彼曰く、チャンピオンになって国から報酬を貰っているのにも関わらず、国に忠誠を誓わないのは駄目だ。とアリをバッサリ。

同じ黒人でも考え方が全く違いますよね。



モハメドアリ、信念を貫き、多数のアメリカ人の観衆を味方につけた。

画像出典元:『jiji.com』

アリがベトナム戦争に行かない理由の一つは、ベトナム人がアリの事をニガー(差別用語)と呼ばなかったからだと言っていましたね。「俺はベトナム人に恨みはない」とも言っています。確かにそうです。

アメリカ国内で白人が黒人のことを差別しているのに、何故戦場に行かないといけないのか。意味が分かりませんよね。しかも、何の罪もない人達を●さなければならない場面も出てきます。戦争とは、罪もない人間が亡くなっていくものだと個人的に思っているのですが、どう思いますか?私はアリの考え方に賛同します。

アリの産まれたルイビルという地は、黒人差別が酷い地域だったらしく、黒人は犬のような扱いだったんだとか。アリは、敵はベトナムではなく自国の白人であるという考えに基づいて徴兵を拒否していたのです。

「黒人は白人の道具ではない。」黒人たちの自由と平等の為にアリは活動していたのですアリは黒人達に徴兵を拒否するように促していましたので、賛同した人も多く居ました。拒否してカナダに逃げた仲間もいるようです。

アリはボクシングライセンスを停止されている間、頻繁に大学等に行き、講演を行いました。ボキャブラリーも交え、熱演しましたね。アリが話している姿をユーチューブで見ましたが、ポンポン言葉が出てきます。頭が良いという事が分かります。やはり、チャンピオンになる人間は頭脳も優れているのですね~。

アリの講演によってベトナム戦争に反対する人間が増えていき、支持を獲得していくこととなりました。その間ずっと収入がないわけにはいかないので、アリはハンバーガーショップを開店していた?という話もありましたね。

国外で活動して資金を集めようにも、ビザが下りないために苦労していた事もありました。アメリカを代表して戦いチャンピオンになっているにも関わらず、あまりにも扱いが酷いですよね。まさに、黒人が差別されているという証拠です。

アリは知名度もあり、喋ると直ぐにニュースになるような男でした。アリの様な人物で徴兵を拒否した人間はいなかったようですから、世間の注目度は凄かったらしいですね。

「刑務所に行くのか、それとも軍隊に行くのか。いや違う。正義を貫くんだ。」←こういった発言もありました。

...

アリは歌も唄っています

「我々は鎖に繋がれてきた

我々は惨めな姿で

いまやすべての苦しみや痛みは過去の物

我々は鎖につながれてきた

それを忘れるな

我々の今を説明するのはその歴史だ

我々は鎖につながれてきた

そのツケは誰が払うのだ?

我々が失った自由を取り戻すまで

我々は鎖につながれてきた

今、お前たちの選択は二つに一つ

全てを失うか、自由を取り戻すか

鎖で繋がれ400年

正義も、自由も無い。平等も無い。

今も鎖に繋がれている。」

 

 

モハメドアリ、控訴されて無罪が確定。しかし、4年というプロボクサーにしては長い年月を無駄にすることに...

アリは1971年6月に有罪判決を破棄される事になりました。当時アリはシカゴに滞在していたようで、その事実を知った時、「神に感謝する」「最高裁判所に感謝する」と発言しました。

そう言えばアリは黒人たちの暴動を見て、「それらは意味のない行動だ」と言い放ち、あくまでも平和的な解決を望んでいたようです。ですから、裁判所とは徹底的に戦うが、負ければ負けを認める。そんな考えでした。皆が皆アリの様な思想だと平和的に解決できるように思いますが、やはり戦争が続くのは裏で儲けている人間がいるからでしょう。

世界を牛耳っている人達がいるとの陰謀論もありますしね・・・

アリはそんな事も知っていたのでしょうか?死ぬ覚悟を持ちながら活動したアリには尊敬するばかりです

モハメドアリ、プロのリングに復活。復帰三戦目でキャリア初敗北。

無罪が確定した後、なんとアリはリングに復帰しました。ボクサーとして活動するのは実に三年半後の事になってしました。

活動していない間が彼の全盛期だと言われていましたので、ファンとしては複雑な気持ちですが、やはりそれらの出来事があってのモハメドアリなのでしょう

1970年10月26日に復帰戦を行って見事勝利したアリは、1971年3月8日にジョーフレージャーとタイトルマッチを争って敗北しました。これが初の敗北です。

フレージャーの豪快な左フックでダウンも喫しましたね…アリが吹っ飛ぶシーンを見た事が無かった私ですが、見た時は「おお!!」って叫んでました...

 

衝撃的なアリのダウンシーン

画像出典元:『NumberWEB』



モハメドアリ、再びチャンピオンに。(ジョーフレージャーとの舌戦)

第一戦目は舌戦が繰り広げられ、その試合では大金が動いていました。まさに、ショービジネス化していたという事。アリは自分がヒール役に回る事により、視聴率が取れることを分かっていましたし、「罵声を浴びながらリングに歩いていくのは何とも言えない」と語った事があります。

ですがフレージャーはアリの言動に不快感を示し、「俺を倒したいのは分かるが、そこまでしなくても...」「パンチより効いた。ショックだった」と語っています。

第一戦はアリが負け、フレージャーはスカッとしたでしょうが2人は再戦する事に。

...そして第二戦もアリはトラッシュトーク。フレージャーに見立てた小さな人形を叩き、「ゴリラ野郎!」と言い放ち、またもやフレージャーをガッカリさせてしまいます。

...

二人は対戦する以前から交流があり、アリがライセンス停止中でお金を稼げない時期もフレージャーは援助してるのですよ?アリの考え方に興味を抱き、同情すらしていたようですからね...

それなのにアリは何故フレージャーを罵倒するようになってしまったのか。それはどうやらフレージャーがアリの事をカシアスクレイと呼んだことが原因になっているようです。アリはその名が白人の奴隷名であるために改名していますから、アリは「あいつは白人の手先だ」と言い放っています。

そしてフレージャーの事を「アンクル・トム」と言っています。その単語は、白人にこびへつらう黒人の事を指しているようで、黒人が同じ黒人を差別するときの最大級の差別用語らしいです

そんな事もあり、フレージャーは大分ショックを受けて居ますね~。

結局2戦目はアリが12ラウンド判定にてフレージャーを破り、その後三戦目が組まれる事となったのですが、またもや!またもや!アリはフレージャーを罵倒しますそれどころか、相手の練習する場所まで行き、練習の邪魔もしています。私がびっくりしたのは、フレージャーに対し、イスを投げていた事ですね。いや、やり過ぎです...

そんな事もあってか、フレージャーとアリのその後の関係が気になったのですが、どうやら和解していない感じですねパーキンソン病に苦しむアリに冷たい言葉をかけたと言われていますから。まあ、アリのトラッシュトークが過ぎたという事なんでしょうが、ちょっと過激すぎた所があったのかもしれませんね…

 

 

まとめ。

今回はモハメドアリのベトナム戦争においての徴兵招集反対からライセンスはく奪、そして復活までを説明しました。彼は黒人差別と戦ったアメリカボクシング史上一番有名な人物です

彼がライセンス停止中に活動してきた結果もあり、ジョージフォアマンと戦ったキンシャサでは現地の人を味方に付けています。黒人のヒーローだという事でしょう。ただ、同じ黒人を罵倒するぐらい過激な一面も持ち合わせています…

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