1970年の年間最高試合賞に選ばれたこともある、沼田義明さん。デビューしてから25連勝。生涯戦績は55戦44勝(12KO)8敗3分です。
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1965年、東洋ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)王座獲得(防衛2)。1966年、東洋ライト級王座フラッシュ・エロルデ(フィリピン)に12回判定勝ち。
1967年、WBA世界ジュニアライト級王座に初挑戦し、エロルデを15回判定で破り王座獲得。1967年、小林弘との史上初の日本人同士のタイトルマッチに破れるも、1970年、WBC世界ジュニアライト級王座に挑戦し、レネ・バリエントス(フィリピン)を下し2度目の王座を獲得(防衛3)。
その後、1971年のリカルド・アルレドンド(メキシコ)と戦った4度目の防衛に失敗。1972年に引退した。
沼田さんは北海道の日高町で誕生しました。当時は門別町と言われていた地域だったそうですから、相当寒い地域ですよね。元々ボクシングを始めたキッカケになったのは、TBSの「東洋チャンピオンスカウト」と極東プロモーションが企画した「TBSボクシング教室」に参加していた事だそうです。
...プロデビューし、連勝を重ねたわけですが、沼田さんと言えばどの試合を思い浮かべますか?私は1989年産まれですから当時の事を知りませんが、調べてみるとどうやらラウル・ロハス戦が一番有名な感じがしました。
そのロハスは2階級制覇を狙ってタイトルに挑戦してきた強敵で、沼田さんは2回にダウンを奪うものの4回にはボディでダウンを奪われるなど劣勢を強いられます。見るからに効いていますが、何かカウンターを狙っている気もしました。そう、記事タイトルにも書かせて頂いたアッパーです。
度々沼田さんはアッパーを繰り出しKOを狙っているのですがなかなかヒットしません。勢いあまってアッパーを放った後に一回転しているシーンがありました。そんなシーン想像できないと思いますので、動画を貼っておきますね。
沼田さんは5回にそのアッパーをヒットさせ、大逆転KO勝利を演じました。まさにドンピシャのタイミング。大橋秀行会長が沼田さんについて語っていた記事を読んだのですが、それによると沼田さんはサンドバッグを打って練習しないと書かれていました。だからアッパーの打ち方も独特なんだと。
それでいて【精密機械】と呼ばれていましたから、チャンピオンになる選手には様々なタイプが居ますね~。
【年間最高試合】沼田義明の強烈なアッパー炸裂
沼田さんは引退後、テレビで解説などを務めながら東京にジムを開きました。2020年12月に東日本ボクシング協会から退会したというニュースを聞いてこの記事を書いているのですが、退会した理由が高齢で病気がちである事が原因のようです。
今後はアマチュアのジムとして運営していくとの事ですが、体調が気になる所ではあります...
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