ボクシングの殿堂入りもしているレナードの幼少期と、ボクシングとの関わり、親との関係について話していきます。
シュガーレイレナードがプロに転向したのは父親の病院代を稼ぐため
シュガーレイレナードは1956年5月17日にアメリカのノースカロライナ州ウィルミントンで誕生しました。本名は【レイ・チャールズ・レナード】です。母親が大好きだった【レイ・チャールズ】にちなんで命名されました。
レイチャールズ
レナードは7人兄弟の5番目です。彼は3歳の時に地元からワシントンDCに引っ越し、そして7年後にメリーランド州に引っ越しています。レナードは引っ越して直ぐに川で溺れて死にかけた事もあったようです。そんなレナードの両親は愛情深く、お金を稼ぐために懸命に働きました。
母親は准看護士で労働。父親はスーパーマーケットで長時間労働。それ以外に週に3日ゴミ収集車に乗り収入を得ていました。レナードは父親と母親はよく働いていたと言っており、将来はお金を稼がないといけないと思っていたそうです。
レナードが育ったメリーランド州の治安は悪く、彼の周りの人間は暴力的な犯罪で亡くなった事もあります。そして白人から差別される地でもあったようで、ある日ワシントン記念塔のトイレに行った時に白人に差別用語を発せられてしまいます。
父親は髄膜炎と結核を患い、担当した医者は「父親が長い間生きているか分からない」と言い、それを聞いたレナードはメンターとして仰いでいたジャンクス・モートンという映画製作者に””手早くお金を稼ぐ方法”を尋ねます。その結果、プロに転向することを決めました。
そう、父親の病院代を払うためにプロに転向したのです。
レナードのサプライズ
家を購入した事を両親に内緒にしていたレナードは、目を閉じさせて家に連れて行きサプライズ敢行。目を開けさせ、両親に対し、「働く必要はないよ」と言った瞬間、両親は大号泣。レナードは両親が大量の涙を流す場面を見た事がなく、人生で最大の出来事の一つだと語っています。
時々その瞬間を思い出すレナード。親孝行です。
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